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40代おっさんのとりとめのない話

ぼくとパソコン遍歴(青春編)

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こんにちは。ぼくことマヒロです。

先日会社の後輩と飲みにいったとき、後輩の家にはパソコンがないという話を聞きいてびっくりしました。

「パソコンがないといろいろ不便じゃないの」と聞いてみると、スマホで充分ことが足りるのでパソコンは必要がない言われました。

いまの若い人たちはそうなんだと、少しカルチャーショックを受けました。

そんな話をしていると、ふと今まで自分が触ってきたパソコンたちとの思いでがよみがえってきました。

今日はそんなぼくのパソコン遍歴について振り返ってみようと思います。

 

 

SHARP MZ-5500(OS:MS-DOS

ぼくが初めて触ったパソコンはSHARPのMZ-5500です。

自営業を営んでいた父親が新しい物好きで、当時まだ普及していなかったパソコンやワープロが置いてありました。

間違いなくぼくのパソコン好きは父親の影響を受けています。

 

小学生4年生だったぼくはキーボードというものがとてもカッコ良く見え、毎日ガチャガチャと触っては親に怒られていました。

このパソコンには8インチのフロッピーディスクのドライブがありました。

読んで字のごとく大きさが8インチ(直径約20cm)ある大きなフロッピーディスクですが、おそらく容量は1MBぐらいしかなかったと思います。

フロッピーディスクドライブもサイコーにカッコよかったですね。

 

プログラムに興味を持ったのもこの頃です。

プログラマーをしていた親戚のお兄ちゃんがうちのパソコンでプログラムを作っているのを横で見ていたのを覚えています。

そうこうするうちに自分でも本を読みながらプログラミングの勉強をするようになり、将来はプログラマーになろうと決意しました。

 

 

リコー マイツールIIIe(OS:MS-DOS

プログラマーを目指していたぼくは、授業でプログラム(COBOL、BASIC)を教えてくれる商業高校に入学しました。

マイツールは実家の会社においてあった業務用パソコンですが、ぼくのプログラムの勉強用パソコンでもありました。

 

学校の勉強と並行して、親の会社の販売管理ソフトの開発をしました。

販売管理ソフトといっても請求書を出すものではなくて、ある商品を売ったときに次の販売時期をリスト化するというものでした。

今ではExcelでパパッと作れるんでしょうが、当時はまだ表計算ソフトはメジャーじゃなかったので、パッケージソフトに頼っているところがほとんどでした。

今でもあのときによく作れたなぁと自分でも感心します。

 

 

NEC PC9801DX2(OS:MS-DOS) 

専門学校へ行きプログラムの勉強をするつもりだったのですが、親と先生の勧めもあり大学へ進学しました。

そのとき親からプログラムの勉強用にと買ってもらったのでこのパソコンです。

当時でプリンタを合わせると50万以上はしていたのではないでしょうか。

大学の費用やその他の出費を考えると、本当に親には感謝してもしきれません。

 

大学は文系だったのでプログラムを教えてくれる授業はありませんでした。

周りにもまだパソコンを触ったことがない人がほとんどで、自然とプログラムから遠のいて行きました。

気が向いたらプログラムの勉強をしていたのですが、頻度はかなり落ちていたと思います。

 

代わりに大学の先輩からゲームを譲ってもらい、ほぼゲーム専用機になってしまいました。

ゲームをするために、メモリを増設したり、5インチFDDドライブを買ったり、40MBのHDDをつけたりとしていたのですが、これが意外にも仕事で役に立ちました。

というのもMS-DOSの時代にはプラグアンドプレイ(周辺機器を自動認識する)という機能がなくて、自分でAutoexec.bat,Config.sysというファイルにドライバを記述をして周辺機器を認識させていたんです。

ですから何か周辺機器を使いたいときはそれなりの専門知識が必要だったということです。

Windows95が世に出てくるまでこの状態は続きました。

いやー、どこで何が役に立つかわからないもんですね。

 

 

思い返せば

ぼくが学生だった頃はパソコンに触れるだけで「オタク」と呼ばれる時代でした。

当時は「オタク」と呼ばれるのが嫌でしたが、学生時代にパソコンにのめり込んだからこそ、今の仕事ができているのだと思います。

 

次回は社会人になってからのパソコン遍歴をご紹介します。

 

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。